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告別式も無事終わり。

最後の最後まで、私に「余ってるギターないか?」と、父は聞いていた。欲しかったんだろうなぁ。

たくさんギター持って、普段弾かなかったとしても、ギタリストにとって「余っているギター」は無いのだよ。でも、1本くらい、貸してあげれば良かったかな。

父が治るためにと、何かと、お金を使ったけれど、そんなことより、ギター買ってあげた方が良かったかなぁ。

うー、最後くらい、思いっきり弾かせてあげたかったなぁ。指が動かなくても、せめて、ネック握るだけでも。ギターを抱くだけでも。させてあげれば良かったなぁ。

父の棺の中に、ギターを入れてあげたかったけど、燃えないものはダメだというので、ギターを印刷した紙を入れた。マーチンの、138万円のギターだぜ。思いっきり弾いてくれ。印刷だけど。

弟は、しゃもじと菜箸、セーターを入れていた。母は、煙草を入れていた。私は、手紙とギターを印刷した紙を胸に抱かせた。酒は入れられなかったけど、好きなものに囲まれて、良かったな。

そして、お茶を飲みながら、お坊さんと喋っている間に、父は、あっという間に骨だけになってしまった。

お坊さんは「棺に、しゃもじ入れたの初めて見た」と言っていた。「あの世でも御飯作るんですかね?」と笑ってたけど、でも、そうだろうね。死んだからといって、人が急に変わるとは思えないから、生前と同じように、おいしい御飯を作って、皆に食べさせて、ご機嫌になって、食後は気分よくギター弾いて歌ったりして、そんな風にして過ごすんでしょうね。

しかし。家に、遺影と骨壷と位牌を置いた祭壇が出来ても、まだどこか現実感がない。焼酎片手に、包丁にぎりしめた親父@魚さばき中が、後ろから「もうちょっとで、旨い飯、出来るから、待ってろな」と、話しかけてきそうな気がする。

こういうのって、しばらくは、時間かかるかな。なんとも、不思議な感じ。