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2008年04月

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先日の告別式の後、父の遺骨を実家に持って行った時、壁に、蟹の殻が飾ってあるのを、弟が教えてくれた。もちろん中身はなくて、かなり白くなってる胴体&頭の殻だけが、壁に引っ掛けられている。

ちっとも目に入ってなかったけれど、なんじゃこりゃ?なんで蟹が飾ってあるんだ?

話を聞くと、これは弟が、新潟に出張した時に買って、家に送った蟹なんだって。観賞用じゃないよ、食用だよ。

それが、よっぽど美味かったのか、それとも、そうした弟の行為に感動したのか、食べ終わった後、父が記念に飾ったそうだ。

「裏に名前と日付が書いてあるんだよ」と言うので、殻の内側を見たら、本当にマジックで、父の筆跡で、弟の名前と日付が書かれていた。

弟よ。いくら世の中広いと言っても、蟹の殻に名前を書かれた人物は、君しかいないであろう。

日付をみると、その間に両親は1回、引越してるので、この蟹の殻も、一緒に引越してきたことになる。

そこまでするか?と思うが、この感性、たまんない。父は、よっぽど嬉しく、また寂しかったんだろうなぁ。

弟よ、その白くなった蟹の殻、形見に貰っとけ。

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数日前に、バンドのブログを作ろうと思いたってから、WordPress がいいか?MovableType がいいか?どっちが良いか?で、ボンヤリ悩んでる。

いや、悩んでる“つもり”だった。

この、どっちかで作ろうと思いたった理由は「使ったことが無いから」なんだけど、使ったことが無い状態で、どっちがいいか?と悩んだところで、答えが出るはずがない。

どっちも使ってみなきゃ、どっちがいいかなんて、分かんないよな。

私は一体、何を悩んでいたんだろうか。。。バカみたい。ということで、とりあえず、どっちも作って、どっちも使ってみて、どっちにするか決めることにした。


ということに気付いたら、日常生活では多々、こうしたことがあるのに気が付いた。

上記のように、どっちも知らないのに、どっちがいいか悩んだり。やったことないことを「やれるかどうか?」悩んだりすることも、結構あるよね〜。

悩んでも分からないよね。やってみなきゃね。

もうちょい・もうちょい

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いい加減、自分の仕事のホームページを何とかしなきゃと思って、ここ数日、かなり本気モードでPC作業している。

リニューアルする!って言ってから、一体、何ヶ月、経ってるんだよぉおぉ。

まぁ、その間サボっている訳ではなく、眠い目をこすりながら、かなり試行錯誤して、作っては壊してイチから、やりなおしを繰り返し、本当に色んなバージョンを試して、ようやく、ひとつの形にいきついた。

もうちょいで、PC版は完成しそうよ。しかし、サイトに新メニュー載せるって公言してから、半年も経っちまったか・・・ぐぅ。こういう溜め込みは、ほんと、ジレったい。サクサク、サイト作れる人になりたいよ。

神聖幾何学ヒーリング新しいメニューのために、チエコちゃんに描いてもらった絵に、今日は色をつけたりしてた。これは「神聖幾何学ヒーリング」している風景です。

例によって、心臓の弱い人は見ない方がいいですが、チエコちゃんに「こんなイラストにして〜」とイメージを掴んでもらうために、私が描いた神聖幾何学ヒーリングの絵 を見ると、チエコちゃんは天才だと思う。よく、これを、あそこまで、持っていけるなぁと感心する。

私が描いた絵でサイト作ったら、きっとお客さん来ないよね(笑)ほんと、皆さんのご協力のお陰で、成り立ってます。

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今日から、通常通り営業再開です。

なんだかんだで1週間休んじゃったんだなぁ。。。と思って、メルマガにも、そう書いちゃったけど、あれ?実際は、そんなに休んでいないのか。先週の土日は、普通に仕事していたもんね。

ん〜、やっぱ、なんか、感覚が変かも。なんか、どっか、ボケてるなぁ。

今日は、2人の人に「一回り小さくなったみたい」と言われた。

それが「痩せた」ということであるなら、とても嬉しいことだが(笑)でも、痩せたなら、普通に「痩せたんじゃない?」って言うと思うので、なんとも微妙だわ。何が、一回り小さくなったんだろう?態度だろうか?(笑)

昼間は、セッションや鑑定をさせて頂いて、夜はエネルギーワークの練習会を開催した。このクラスは申込開始すると、いつもすぐ定員一杯になっちゃうのに、GW前だからか参加者さん少なく、かなり濃密に出来た。

ワークショップを開催するようになって、私は、誘導することの面白さに目覚めてきたよ。誘導って、ただ言葉を喋っているだけかと思っていたけど、エネルギーを感じられて、これが面白いのだ。

こういうのって、やってみないと、ほんと分からないものだね。何事も経験が大事ですねぇ。

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親の愛は、なぜ伝わらないのか!?


一緒に学んでいるお仲間が、本を出版したと聞いたので、本屋さんに買いに行った。そして、本にサインして貰った。嬉しいなぁ。

2ヶ月前にお会いした時、この本の原稿を見せて貰ったんだよね〜。だから「あの時に見せてもらった原稿が、今はこうして本屋さんで、本になって売られているのか」と思うと、感動する。形にするのって、大変だもんね。スゴイ大変な作業だっただろうなぁと思うし、尊敬だわ〜。

このように、想いを形にしたり、達成することって、私は、とても大切だと思う。

クセがつくんだよね。達成するクセがついている時は、何をしてもホイホイと、達成するのが当り前になってくるし。その逆も、またしかりだけど。

本を買って、サインして貰えたことで、なんか、いいエネルギー貰えたような気がするぞ。サインと一緒に「飾っておくとお金が入ってくる」タロットカードの絵も、貰えちゃったしね。さっそく、連鎖ラッキー☆

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今日が休みで助かった。

休みと言っても、御礼状を出したり、これからのこと考えたり、なんだかんだで忙しいんだけどさ。久しぶりに、ゆっくり寝れた。

バランスを取り戻すために、1時間ほど瞑想する。自分の中が、少し安定する。やっぱ、こういう時間は大切だな。

親しい人の死という、過度なストレスを受けた時は「自分では平気なつもり。でも・・・」というのが怖い。

婆ちゃんが亡くなった時、私は普通に日常を過ごしていたつもりだが、周囲にいた人は、私の言動について「1年くらい、なんか、おかしかった」と後から言っていた。

自分では、いたって普通でいたつもりだったので、後からそう聞いて、自分で気付かないところで、おかしくなるのかもなぁ?と少しショックを受けた記憶がある。

でも分かんない。

当時と違って、今では日常で、霊だの気だのという話ばかりしているから、普通の人から見たら、ずっと、おかしいのかもしれないし(笑)ま、いいけどね。

でも、そういうのじゃなくて。電話に出た時に、気付いたら「しもしも!」とか言ってたりもするんで(もしもし、が何故か、ひっくりかえってる)気をつけなきゃ。何か私に変なとこあったら、指摘してくださいね。

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告別式も無事終わり。

最後の最後まで、私に「余ってるギターないか?」と、父は聞いていた。欲しかったんだろうなぁ。

たくさんギター持っていて、普段弾かなかったとしても、ギタリストにとって「余っているギター」は無いのだよ。でも、1本くらい、貸してあげれば良かったかな。

父が治るためにと、何かと、お金を使ったけれど、そんなことより、ギター買ってあげた方が良かったかなぁ。

うー、最後くらい、思いっきり弾かせてあげたかったなぁ。指が動かなくても、せめて、ネック握るだけでも。ギターを抱くだけでも。させてあげれば良かったなぁ。

父の棺の中に、ギターを入れてあげたかったけど、燃えないものはダメだというので、ギターを印刷した紙を入れた。マーチンの、138万円のギターだぜ。思いっきり弾いてくれ。印刷だけど。

弟は、しゃもじと菜箸、セーターを入れていた。母は、煙草を入れていた。私は、手紙とギターを印刷した紙を胸に抱かせた。酒は入れられなかったけど、好きなものに囲まれて、良かったな。

そして、お茶を飲みながら、お坊さんと喋っている間に、父は、あっという間に骨だけになってしまった。

お坊さんは「棺に、しゃもじ入れたの初めて見た」と言っていた。「あの世でも御飯作るんですかね?」と笑ってたけど、でも、そうだろうね。死んだからといって、人が急に変わるとは思えないから、生前と同じように、おいしい御飯を作って、皆に食べさせて、ご機嫌になって、食後は気分よくギター弾いて歌ったりして、そんな風にして過ごすんでしょうね。

しかし。家に、遺影と骨壷と位牌を置いた祭壇が出来ても、まだどこか現実感がない。焼酎片手に、包丁にぎりしめた親父@魚さばき中が、後ろから「もうちょっとで、旨い飯、出来るから、待ってろな」と、話しかけてきそうな気がする。

こういうのって、しばらくは、時間かかるかな。なんとも、不思議な感じ。

お通夜

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今月アタマに受けた血液検査の結果を聞きに行った。結果は、一応ギリギリ正常値になった。ギリギリなので、今後も鉄分をたくさん摂るように言われる。

それから、数珠や香典袋を買いに行ったり、お通夜に行く準備でバタバタしてた。

御靈前香典袋の「御靈前」の字は、「靈氣」の「靈」の字と同じだったよ。

ちなみに、お寺の名前も「靈源寺」で、「靈」の字が一緒だった。

お通夜は、サクっと終了。私は泣いちゃうかな?と思ったけど、なんか父親の顔見たら、楽しくなってきてしまった。

ほんと、穏やかなイイ顔してるのだ。病院でレイキしてた時は、かなり苦しそうだったから、これで楽になれたのかな〜って思って。肉体生活を終えて、次の学びに進める訳だしね。父に対しては悲しいというよりも、良かったね、という気持ちが強くなってきた。

それよりも、受講生さんが数名お通夜に駆けつけてくれたことに、ウルウルきてしまった。お花を贈ってくれた方、お悔やみの言葉を頂いた方、お香典を頂いた方、暖かいお心遣い、どうもありがとうございます。

私は全く分からなかったが、昨日の瞑想会にも、父は参加していたらしい。

瞑想が上手く出来なかった参加者さんのところに現れて「俺が手伝ってやる」と言って、誘導してくれたそうです。

ん〜、それって本当なの?たまたま事情を知ってるから、そう妄想しちゃったんじゃない?とも思うんだけど、何とも言えない。

本当に、そうかもしれないし。違うかもしれない。分からない。

だけど、これまでに2名の方が、ウチで父を感じたと仰っているのは事実。どうも父は、私の仕事のスタッフとして働いているみたいです(笑)

で、その内のお1人は、何故父がセミナーとか瞑想会に一緒にいるかというと、私の伝授を「受けたがっている」と言う。だから伝授してあげたら?と言われたんだけど・・・・・・もう肉体ないじゃん(笑)どうやって伝授したらいいのか?

遠隔アチュするみたいに、すればいいのか?

それとも思い切って、肉体に?一応まだ、肉体は、あるにはあるぞ。

肉体にアチュするなら、タイムリミットは明日の朝までだが、棺の中に入ってる体に、どうやるか?しかし、あの死の際の、生命エネルギーが全く流れない状態を思い出すと、死亡した肉体にアチュするのは、まったく無意味な気がする。

本当にもう、何て、ややこしんだ。何度も言うけど、やりたいことは生きてるうちに、やっておくように。

私はそのことよりも、明日、棺に何を入れてあげようか?で、頭が一杯だ。ギターを入れてあげたいけど、ダメだろうから、ギターの写真にするかな。

父が生前、好きだったものというと、酒と煙草と料理とギターしか私は知らない。

母は、包丁は?と言っていた。おいおい。たしかに魚さばくの好きだったけど、燃えないものは入れちゃダメだってば。

弟は、しゃもじを入れると言っていた。たしかに料理好きだったけど、しゃもじなんて普通入れるか?燃えるから、アリか?

私は、手紙にするかなぁ。明日早起きして、書くかなぁ。。。

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今日は瞑想会を開催しました。ご参加頂いた皆様ありがとうございました。

どんな時でも、一定の生活ペースを保てたらいいんだろうけれど、ここんとこの緊急事態で、瞑想する時間を作れずにいたので、瞑想会、とても楽しみにしてた。

でも私は主催者だから、時間や空気見たり色々やることあるので、よく考えたら自分は、瞑想できないのだった〜(笑)

だけど楽しかったよ。

いつも思うんだけど「何をもって瞑想とするか」「どんな状態が瞑想なのか」が、難しいよね。こういうのは教わって得るものじゃなく、自分で体験して得ていくものだと思うから、得る前に挫折しちゃうことも多いと思う。

アメリカ人の受講生さんが、学校で瞑想の時間(授業?)があったと言っていたけれど、そういう環境は、とても羨ましく思う。

学校で教われたら、すごくイイだろうな。そういう下地があったら、習慣にも、しやすいんじゃないかな。レイキと瞑想が義務教育に加わったら、かなり面白いことになると思うんだけどね。

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0時10分頃。

ひっぱたいても、ゆすっても。

何をしても戻ってくること無く、父は旅立っていってしまった。

最後の言葉も、何もなく。

ただ、スーっと、深い眠りに入るように。

昼間は、ずっと、痛がったり苦しんだりしていたから。

こんなに安らかに、眠るように息をひきとれたのは、気にかけてくれた皆様、気を送ってくれた皆様のお陰でしょうね。ありがとうございました。

病室に入ってから、13時間。食事したり、仕事の段取りしたりで、何度も手を離したけれど、こんなに長い時間、1人の人にレイキを流し続けたのは初めて。

最後に少しは、親孝行できたのだろうか。

あまりにも、あっけない最期。でも、家族全員で看取れて良かった。

生まれて初めて、死に水をとった。

生まれて初めて、霊安室に入った。

生まれて初めて、父親に線香をあげた。

こうして、私を強くしてくれているんだろうか。

もっと早い段階でセッションしていたら?父に伝授していたら?他にも、もっと、やれたこと、一杯あるんじゃないか?自責の念が渦巻くけれど、それにハマるとキリが無いので「やれる限りのベストは尽くした」で、念を打ち切る。

それでも悔しさが、残る。自分の非力さったら。。。

ちきしょう。これからも、絶対に後悔しないよう、生きてやる。

絶対に後悔しないよう生きるとは?自分に言い訳しないことだと私は思う。お金が無いとか、時間が無いとか、誰がどうだからとか、もう絶対、言わないぞ。

と、これもマルクートの学び、なんでしょうかねぇ。

こういう展開になりましたが、今日は予定通り、私が講師でセミナー行います。明日の瞑想会も、予定通り行います。

お通夜、お葬式のため、21日(月)22日(火)は臨時休業させて頂きます。しばらくの間、ご迷惑おかけしますが、宜しくお願いします。


〜ここまでは、朝6時半頃に書きました。〜


ブログを書き終えてから、これから行うセミナーの準備、昨日の仕事の残処理などをし、どうも寝る暇なさそうなので、そのまま起きて仕事することにして、腹ごしらえ。

昨晩、徹夜を覚悟した家族の夜食にと、弟が買ってきた、おにぎりを、持って帰って来たので、それを食べた。

それは、赤飯の、おにぎりだった。

弟よ、こんな時に、こんなものを買ってくるなんて、どういう神経してるんだ(笑)父が亡くなってから、最初に口にする食物が赤飯かよ(笑)とも思うが、私は赤飯大好きだし、父の旅立ちを祝ってやろうと食べた。

9時過ぎにサポートをお願いした受講生さんが到着し、10時よりセミナー開始。こんな時だからこそ、出来ることが、出来たと思う。

セミナーの最中、霊感が強い友人が、私の父の波動をキャッチしたと言って泣いていた。それは「生きている間に話せなかったことが、たくさんあって、それを悔いている。七実に、愛していると伝えて欲しい。」というものだったそうだ。

個人的にはね、とても感動的なことだし、友人も「それを伝えるために、今日ここに来たような気がする」とも言ってくれて、とても、ありがたいことなんだけど。

だから、そういうことは生きてる間に、直接本人に言えって言ってるのにな。体が動くうちに、言いたいこと、言わなくちゃ。やりたいこと、やらなくちゃ。体が動かなくなったら、体が無くなったら、出来ないんだから。

っていうか、それが父であるならば、私は仕事中なのだ。セミナーの邪魔するな。友人通さず直接私に言え。など、いくつかクギを差しておく。

セミナーは無事に終わって、その後は友人に楽健法をしてもらって体のコリをほぐし、それからセッションをしてもらった。いつもと同じことをやることで、ようやく気持ちが、日常に戻ってくる。

それから食事して、帰宅したのは、22時半頃だったかな。今日は早めに休もうと布団に入って、1日を振り返ると、今日は一睡もしてなかったことを思い出す。

長い1日だった。

急に、小さい時の写真が見たくなり、アルバムを出して見る。ものすごい枚数あるのだが、そのほとんどが、父が撮ってくれた写真だ。彼の目からは、こんな風に、私が見えていたのだろうな。

レイキを流し続けた両手の平に、まだ、父の肉体の感触が残っている。

まさか、こんな日がくるとは、思ってもいなかったけれど、レイキを流しながら、22年振りに全員揃った家族で見送りながら、父を旅立たせることが出来て良かった。

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