
2003年11月
答えは・・・
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その方から「相談に乗ってくれる人って、答えを教えてくれない方が多いですよね〜。七実さんも『ああしろ、こうしろ』って、絶対に言ってくれませんものね(笑)」と言われた。
また「答え教えてくださいよ〜」とオネダリ(?)もされた。
アハハ、そういう風に思われていたのか〜(笑)
答えを教えないのではなくて、私には、答えを出してあげられないんだよね。「答えを出すのは自分だけ」だと思うから。
答えを出していく、きっかけやヒントだったら提供できるかもしれないけれど、私には、答えを教えてあげることは出来ないのだ。
多分、他の人達も、同じようなお気持ちなんじゃないかなぁ、と思う。
ぜひともベストな答えを、ご自身で見出していって欲しいなと願う。私に関わって下さった皆様のこと、陰ながらいつも応援しております。
ラッキー♪
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「当たらないだろうなぁ〜」と思いつつ、なんか気になったので応募してみたら・・・、当たっちゃった(笑)「当選おめでとうございます」のメールが届いた。
わーい、嬉しい〜。やっぱり私ってラッキー♪ ヘ(^∇^ヘ)
ブログ始めてから、ラッキーネタはたくさん書いてきたけれど、これはアファメーションの力も大きいかもしれないね。
「やっぱり私ってラッキー♪」このフレーズ(アファメーション?)も、何度ここに書いてきたか分からないけど、こうして自分が日頃、口にするもの目にするもの耳にするものが、割とそのまま現実になるのではなかろうか。
そうなると、もう「言ったもん勝ち〜」なので、嘘でもハッタリでもいいから、「こうなりたいな」と思うことを言いまくろう!と思う。
言うだけで簡単なので、アファメーションは、皆様もぜひお試しあれ。
手綱をゆるめる
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挫折というと、何となくマイナスイメージがあるけれど、挫折しないようにと使っていた時間や労力を、他の事に使えるので、逆にいいかもしれない。なんて思ったりして。
挫折というよりも、やりたいことを絞り込みたくなった、と言った方がいいのかな。量より質を優先したくなってきたので「やりたいけど、やれない事」「時間や余裕があったら、やりたい事」「無理をしないと、やれない事」は、潔く「やらない事」として考えるようにした。
なんかね〜、自ら負担をかけたくないというか、「やりたいけど、やれないなぁ」とか「時間があったら、やるのになぁ」とか「続けるのに無理があるけど続けないとイカンよなぁ」とか、イチイチ負い目みたいなのを感じたり、自分にムチを打つのが、とことん嫌になったのだ。
だからそういうのは、潔く「やらない事」にした。「ヤメヤメ〜」と止めてしまうと、なんて楽なんでしょ。「私って、これをやることで、こんなに自分に負担をかけていたのか!」と、止めてみて初めて気付くことも多く、ちょっとビックリした。
また「ヤメヤメ〜」って思って止めたにも関わらず、気づいたらやってしまっていることもあって、これはやっぱり、やるの好きなんでしょうねぇ。ということで、復活させたりもして。
まぁ私なんかがやることは、どれも些細なことだけど、意外にも負荷整理ができて、だいぶ気持ちが楽になった。
一番効くお薬
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それが原因、かなぁ?
電車には間に合ったけれど、走ってしばらくしたら、呼吸が苦しくなってきた。喘息の発作が出そうだ。
というか、「ゼーゼーヒューヒュー」とはいわないけれど、息を吸うのも吐くのも苦しいから、これも発作のうちかしら。
この感覚、久しぶりだなぁ。
呼吸が苦しい。さっきまで普通に呼吸できていたことを、とてもありがたく感じる。喘息は完全に治ったと思っていたけれど、私、まだ持っていたのね。
以前だったら、こんな時は吸入器を使って、発作が出るのを抑えていた。でも今は、吸入器を持っていない。ヤバイかも・・・。
「頼むから、これ以上は悪化するなよ」呼吸に意識を向ける。
「私は愛されている」もう自分で分かってる。それが欲しい時に、発作が出るのだ。だから、ただただ「私は愛されている」を感じる。
そうしたら、発作はすぐに、ケロっと治まっちゃった。
何だかなぁ〜って感じだけど、「私は愛されている」は、一番効くお薬なのかもしれないな。
きっとトドメ
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アチコチ文字化けしだして、MSゴシック以外のフォントが表示されなくなってしまったのだ。
直す術を知らないし、「これは、直らないだろうなぁ・・・」だったので、思い切って、リカバリする。
昨日Aさんと、メインPCの調子が悪くなり始めたのは、ノートPCを買ってからではないか?(焼きもちかぁ?)なんて話していて、メインPCに「君がメインだ!」と言い聞かせた矢先だったのにぃ。
「頼むからパソコンだけは壊れないでくれ〜」って思っていたけれど、遂にきちゃった。でも壊れたのではなく、リカバリで済む程度なら、まぁ良かったかな。
しかーし、リカバリは大変だぁ。白紙にしてスッキリするのはいいけれど、環境を元に戻すだけでも、何かと時間がかかる。PCが使えないと、ほとんどの作業がストップしちゃうので困るなぁ。
ただでさえ遅れ気味の作業が、ますます遅れちゃって、すみません。
それにしても、この3ヶ月で、ずいぶんと色んなモノが壊れたなぁ(笑)「新旧交代劇」どうかこれが、トドメであって欲しい。
傷は癒しましょう
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そんな話を聞いていて、その気持ちもすごく分かるけれど「はて、私はどうだろう?」と考えてみたら、う〜ん、私には、そういう不安はない。上手いこと、古傷を消化できているのかな。
そうこう考えているうちに、私って変わったなぁ〜、って思ったよ。
心の傷が、見当たらない。
自覚できないだけで、どっかにまだあるかもしれないけど、パっと見、傷らしい傷が見当たらない。
あんなに傷だらけだったのになぁ(笑)
傷が癒されると、こんなに快適に生活できるのか、と改めて思った。不安や恐れが減り、軽やかに生活できることに感謝!
クローズからオープンに
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香水を頂いたのは生まれて初めてのことだが、これ、かなり嬉しい。私は嗅覚がないので、匂いに関するものを頂けると、とっても助かるのだ。
19歳の時に交通事故で嗅覚を失ってから、私は「匂い」に関して、かなりクローズしていた。
香水もそうだし、芳香剤とか、アロマとか、お香とか、消臭剤とか、そういった匂いに関するものは、私の生活から一切排除していた。
あってもなくても、同じなんだもん。匂いを出すものも、匂いを消すものも、使ってみたところで私にはまるで違いがないというか、匂いは一切感じられないので、自然と生活から、そういったモノが消えていった。
それなのに、どういう訳か、匂いに興味が湧くようになってきたんだよね。
相変わらず、匂いは分からないんだけど、昨年末から香水をつけてみたり、アロマを焚いてみたりとか、匂いに対して積極的になっていった。
嗅覚がないことは私のコンプレックスで、それで今までは、心がクローズしていたのかもしれない。
それが、いつの間にかそれが癒されちゃったのかなぁ?匂いに対して、気持ちがオープンになってきたんだよね。
それで香水など買ってきて、つけたりするようになった。が、嗅げないものは嗅げないままなので「果たしてコレは、どんな匂いがするのだろうか?」と、首をひねりつつ、つけている。
なので「これは七実に合うだろう」と見立てて贈って下さる、香水とか匂い関連のプレゼントは、「その人が選んでくれたものだから、きっといい匂いなのだろう」と自信を持って使うことが出来るので、とても嬉しいのだ。
どんなに頑張っても、匂いを知ることは出来ないわけで、教えて下さるのは、本当にありがたい。
気を使って、私に匂いのことを話さないようにして下さる方もいらっしゃるけれど、話してくれた方がいいなって、最近は思うようになってきた。
街を歩いたりしていて「カレーの匂いがするね〜」と言われると、私はその匂いを嗅ぐ事はできないけれど、無意識に、それを思い出そうとはしている。
残念ながら、カレーがどんな匂いなのかは、思い出せないけどね。
だけど先日「たこ焼きの匂いがするね」と言われて、久し振りにソースの匂いを思い出すことが出来たんだよ。あぁ、匂いって、こういうものだったんだ、って。
「匂いは存在しない」状態で生きていると、匂いの記憶も、再び匂いを嗅げるようになるかもしれないという希望も、どんどん無くなっていってしまう。
以前「きっと嗅覚を取り戻せますよ」と、私を勇気づけてくれた方がいらっしゃっるのだが、私自身は半々というか、「嗅覚を取り戻せる!」という確固たる自信が今だ持てないでいるのは、「匂いは無いのが当たり前」に慣れちゃったからかもしれない。
もうちょっと意識が「匂いは存在する」状態に、戻ってくる必要があるみたいだなぁ。