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2003年08月

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バンドで演奏したり、サイトを運営したり、メルマガを発行したり、自営で仕事したり・・・。

なんというか、自分が自分を抑えてコッソリと生きるのではなく、自信をもって世の中に出ていこうとすると、それに対して、色んなものを頂く。

応援してくれたり、励ましてくれたりなどの気持ちを頂く時は、素直にありがたいし、それに支えられて、今の私がいると言っても過言ではない。

そして、批判や中傷、嫉妬や妬みなどの気持ちを頂く時もある。

10代の時は、いちいちその言葉に反応して不愉快になったりもしたけれど、さすがにもう慣れちゃった(笑)というか、それは私を成長させてくれるチャンスなので、ありがたく受けとめ感謝している。

どんなものであれ誰かから何かを頂くということは、私の為に、その方が何かしらのアクションを起こしてくれているということだから、それは本当にありがたいし、それがあって、今の私がいるんだよね。

だから・・・、ここでこうして、私と関わり合いになって下さって、ありがとうございます。皆様に何かお返しできますように、私も、私なりのラブを表現し続けますです。

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「一体私に何が起こっているのか?」

喜びのあまり頭が真っ白になり、こう叫びたくなる時がよくある。

今週は、連絡先不明でそのまま疎遠になってしまった人達と、街でバッタリと会うことが立て続けに起こる。

こんな時は、本当にビックリする。

どうしてバッタリ会えるのか?

バッタリ会ったからって、何がどうなる訳でもないんだけれど、再び会えた事はとても嬉しい。

だけど偶然もここまで度重なると「もうすぐ私、死ぬのかしら?」なんて思っちゃったりもする。それだけ、信じられないというか、浮いちゃう。

最近は「浮きっ放し」だから、ちゃんとグランディング(地に足をつけること)しておいた方が、いいかもしれないな。

精神世界に傾倒しちゃうと浮いちゃうことも多いけれど、こうして地に足をつけて、現実世界とのバランスも、しっかりとっておいた方が良さそうだ。

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私にとって、今年のハイライトは「大検受験」だった。

なんて、今年はまだ4ヶ月もあるし、大検は11月にもあるけれど、お正月に立てた今年の年間予定の中で、8月前半の大検受験は、私の中では、かなりのウエイトを占めていた。

正念場、である。

中学2年までの勉強しか分からない私が、何十年ぶりに国語とか数学とかを独学でやって、それで合格しようとしているんだから、無茶な話というか・・・。仕事もバンドもやり続けながら、並行して勉強して、自分としては、肉体的にも精神的にも、脳みそ的(?)にも、かなりギリギリの状態だった。でもベストを尽くして、チャレンジしてみたかった。

試験を終えて・・・。気付いた事がある。

それは、私が「正念場」を迎えると、私と関わってくださる周囲の方が、2つのタイプに分かれるということだ。

気持ちよく私を「正念場」に集中させてくれる人と、そうでない人と。

「そうでない人」というのは、別に悪気があるのではないだろうが、どういう訳か私が正念場に集中するのを、邪魔したり足を引っ張ったりする。正念場に対して使おうと思っている私の時間を、奪うような行動をとる。

本当に面白いんだけれど、今回の大検に関しては、願書の記述から試験が終わるまで、「そうでない人」というのは一貫して「そうでない人」で居続けた。それに接して「頼むから試験に集中させてくれ〜」と、何度心の中で思ったか分からない。

いや、心の中だけでなく、実際に「勉強するので、あなたと遊ぶ時間はとれません」とか、そんな内容のことを告げて断っても、それでも無視して、私の時間に割り込んできたりした。

そして、またまた面白いんだけれど、「そうでない人」は、いま、私の側にいない。みんな、去っている。または去ろうとしている。

昨年、これからは自営で仕事をしよう!と、独立開業する正念場を迎えた時も、同じだった。私から見ればだけれど「そうでない人」は、邪魔したり足を引っ張ったりして、それから去っていった。

こんな風に、正念場を迎えると、その人が「遠くに行ってしまいそうで寂しくて」邪魔をしてしまう人がいる。

寂しいから、そういう行動をとってしまうんだろうなぁというのは理解してあげられるけれど、その寂しさを消滅することができるのは、自分だけだ。誰かが代わりに、寂しさを紛らわしてあげることは出来ても、寂しいという想いを消すことはできない。それは、自分にしかできない。

だから、親しい人が正念場を迎えた時に、もし寂しさを感じたら、寂しさをぶつける前に、何故寂しくなるのか?を考えてみて欲しいと思う。

一緒の時間を過ごす時間が減ってしまう寂しさ、置いていかれたような寂しさ、自分の手から離れていってしまうような寂しさ、色んな感情が湧いてくるだろう。

それを深く見れば見るほど、そこには、対その人への感情だけでなく、自分の生き方とか人生に対する大きなヒントが隠されているように私は思う。

「正念場」というのは、それを迎える人はもちろん、その周囲の人にとっても「正念場」なのかもしれない。なーんて思った。

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自分でも信じられない位に、物事が、思い通りにスムーズに進んだ。

キャンセルになって欲しい予定がキャンセルになり、今日中に片付けたい作業があって「全部は無理かなぁ」と思ったのに、全て片付き、自分でも、狐につままれているような感覚・・・「本当にこれ、私がやったの?」と不思議な気分になってしまう。

一日の中で、無駄な時間が、一切ない。何の計算もしていないのに、仕組まれたかのように、私の思い通りにトントン拍子だ。

目に見えない有能なマネージャーか誰かが、私のスケジュール管理でもしているのだろうか?

う〜ん、あまりスムーズすぎると、なんか現実感がないなぁ。ちょっと「浮いてる」気分である。

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好転反応も治まり、頭もスッキリ整理がついて、これからの方向性というか、自分自身の指針が固まる。

変化するところは変化をし、改善できるところは改善し、自然の流れでアレヨアレヨと展開していく中で、漠然とだけれど、何となく自分が、次のステップへと向かっているような気がする。

ほんと、何となくだけれど、そんな気がする。

今までを振り返ってみると、次のステップに進む前には、病気で寝込んだり、眠くて起きれなくなったり、寝たきりになることが多い。寝ている間に何かが整備されるのか、この眠い時期を抜けると、物事が急展開していくことが多かった。

今度は何が起きるのかなぁ?

それを楽しみにしつつ、またまた進んでいこうっと。

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今日の私は、ちょっと感傷的モード・・・。

心の中の傷を感じて、やりきれなくなってしまった。

いや、自分では傷だなんて、全然思っていないんだよ。普段は意識すらしないんだけれど、そうして無意識に押さえ込んでいたものが、ドワーと表面に浮き出てきて、胸が痛くなって、あらららら、私ってば、こんなに傷ついていたのね!と気付く。

自分の中に、癒しきれていないものが、自分が気付けていないだけで、実はたくさんあったりする。

その癒しきれていないものの存在に、気付いて痛みを味わうだけでも、癒されちゃったりするんだけれどね。まぁ次から次へと、よくこんなに出てくるものだと、驚いてしまう。

人の心は、なんて奥深いのだろうか。

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「同じ」が続く時がある。

例えば、同じ名字の方が立て続けに来てくださったり、同じ名前の方が立て続けに来てくださったり。

今日は、同じ悩みをお持ちの方から、立て続けに電話があった。

偶然かもしれないけれど、こういうのは、面白いなぁと思う。何で「同じ」が続くのでしょうね。

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私の事を「何も考えず毎日ブラブラ遊んでる人」と思われている方もいるようだ。あの、一応、私も毎日働いているのですけれど・・・(笑)生活あるしね。

楽器を弾いたりって、遊んでるように見えるのかな?ま、私が仕事とするものは「自分が好きなことで夢中になって楽しめること」であるから、遊んでいるような部分もあるけれどね。

でも好きなことでも、その時間が取れなかったり、爆睡してしまったりして(笑)毎日継続して実践していくのには、割りと努力が必要だったりする。

だけど、毎日実践した方がいい!のを知っているし、私は自分の体験をもとに活きたものを伝えたいし、毎日実践できるよう努めている。

私には、やりたいことが、たくさんある。だけど時間は有限で、私の人生があとどの位あるのか分からないけれど、1日24時間の中で「何をしたか?」の積み重ねが私の人生なんだなぁと思うと、自分がとる行動も、おのずと絞られていく。

悔いの残る人生にはしたくないので「今すぐにでも、何も思い残すことなく、笑って死ねる」よう心がけ、その為の努力は、惜しみません。

な〜んて、努力っていうとスパルタっぽいけれど、自分が「こうありたい」と思うことに夢中になってベストを尽くし、毎瞬を生きられることが嬉しい。実りを豊かにしていくのは、毎瞬の積み重ね、なんだねぇ。

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今日はライブで演奏した。

その帰り道。下北沢駅のホームへ行く。

この駅はよく利用するので、ホームで電車を待つのに何となく「いつもの場所」が出来ている。

でも今日は、何故か、そこに行く気がしなかった。

なので、ホームに行くのには階段が2つあるんだけれど、いつも降りるのとは別の階段を降りて、ホームに行く。

階段を降りきったところで「あ!さっき演奏していた人でしょ?」と声をかけられる。

声をかけてくれたのは、どうやらライブを見に来てくれていた人達らしい。1人は、客席の1番前で見てくれていた人(仮にAさんとします)だったことを思い出す。

彼らと一緒に電車に乗り、ライブを見てくれたお礼をして、雑談を交わす。

「今日は、どのバンドを見に来たのですか?」と尋ねてみたら、Aさんが「う〜ん、誰を見に来たって訳でなく、どっかでライブのチラシを貰って見に来たんだけれど、チラシをどこで貰ったのか分からないんだよね・・・」なんて話された。

あら、そうですか(笑)そういうのも、あるのね。

そしてバンドの話をしたり、ライブの話をしたりするうちに、符号の一致を発見する。

『横浜』

私「横浜ですか。そういえば私、先日、横浜市教育会館で演奏したんですよ」

Aさん「横浜市教育会館で演奏するのはスゴイですね!僕も先日そこにコンサート見に行きました」

私「!!ひょっとして・・・、銀蝿ですか・・・?」

Aさん「え?そうですけど?」

私「私、その日、最初のバンドで出たんですよ!」

Aさん「え〜?!ひょっとして、短パンはいてアコーディオン弾いて、その後ギター弾いてたお姉さん???」

アハハ〜、繋がった!

どうやら今日のライブチラシは、その時のコンサートで配布したものらしい。

Aさんは「全然感じが違うから分からなかったよ!」だって。

確かに、ロックンロールバンド・ボンソウと、愛とやすらぎの弾き語り・ロザリーじゃ、同じ私でも、印象は全然違うかもしれないなぁ。

お互いに「なぁんだ〜」って感じで再会(?)できて面白かったので、名刺交換させて頂いた。

いつもの階段を降りて、ホーム「いつもの場所」へ向かっていたら、きっとこの再会は、なかったのよねぇ・・・。直感に従って良かった!

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自分のテーマ?課題?みたいなものを、どうやらひとつ乗り越えられた気がする。

学びというものは、色んな形で現れる。

その中で、割りと分かり易いのは「同じパターンを繰り返す」というものではないだろうか。

自分にとって、いいパターンだったら、ジャンジャン繰り返して欲しいところだけれどね。

「なんでいつもこうなるの?」と、愚痴を言いたくなるような同じパターンを繰り返すということは、そのパターンから何かを学びきれていない、ということになるのではないか。

そして、学びきるまで、パターンの繰り返しは続く。学びきれた時に、そのパターンは消滅する。

これは恋愛で考えると、分かり易いかもしれない。

「いつも、結婚している人(または彼氏・彼女がいる人)を好きになってしまう」とか、「恋人はいるんだけれど、それとは別の恋人が、いつも欲しくなってしまう」とか、「暴力をふるう人は嫌なのに、いつもそういう人を好きになってしまう」とか・・・。自分が心からの幸せを感じられることではないのに、そういうパターンを繰り返してしまうことって、あるんじゃないかな。

ここ数年、私のパターンは、「外的なものに振り回されて自分をないがしろにしてしまう」ことだった。

他人からの要求を受け入れすぎてしまったり、他人の言動に気を取られてしまったり・・・。そこで、自分のことは後回しにして無茶を重ね、自分のペースやコンディションを崩すことが多かった。

でも、私がペースやコンディションを崩すということは、私がやる仕事の質が落ちてしまうということだ。

それだと、私の仕事の質が落ちることで、迷惑(?)や損害(?)が生じる人がこんなにいるんだ〜ということに、改めて気付いた。

自分が考えていた以上に多くの方が、何らかの形で私と関わって下さっていることに感謝しつつ、仕事を絞り込んだり割り振ったりする必要があることと、外的なものに振り回されてペースやコンディションを崩している暇は私には無いと痛感した。

そう感じたら、自分の柱がビシっと1本、太く立ったような気がした。

うん。もう繰り返さない。このパターンからは解脱しよう。

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