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2003年06月

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最近よく思うことがある。

「みんな、もっと愛されようぜ〜!」

愛されることにためらったり、愛されていることに気付けなかったり、愛される存在でいられなかったり、理由は様々だけれども、恋愛悩み相談などを受けると、自分から愛を拒絶されている方が多いように見受けられ「もっと素直に愛されちゃってもいいのにな」って思う。愛される存在で、いて欲しいなって。

自分で愛されることを拒絶して、だけど、愛に飢えて苦しんでいる。私の勝手な思い込みかもしれないけど、そんな風に見える時があるのだ。

私は、自分のことを自分の思ったように愛してくれるのは、自分だけだと思う。そこが成り立っていないと、愛してくれる人が側にいても、誰も自分を愛していないと感じる。成り立った時には、何があってもね、例え私から人が離れていったとしても、全ての存在が自分を愛してくれていると感じ、それに感謝することができる。

ようは自分次第なんだよな〜ってのが分かったからか、「私は自分を愛していない」と感じさせるような人達は遠のいて、「私は自分を愛している」と感じさせるような人達が、いま、私の周囲にいてくれている。

私は、自分とも、周囲の人達とも、愛し愛されて・・・。あぁ、なんてハッピーなんでしょ。

なんて、ハッピー自慢するために書いたんじゃないや。

ええと、愛に飢えているような感じがしたら、まずは自分自身から愛される存在でいて欲しいな、と。人から愛されるということは、自分から愛されているということの鏡とか表れだと思うので、とことん愛されちゃお!って思うのでした。

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毎朝、ご先祖様にお経を唱えるようにしている。

最近はこれが、メチャ気持ちいい。というか、どういう訳か、ご先祖様の前で手を合わせるだけで、全身を、愛がドワーと流れていく。

「皆様の生と死に恥ずかしくないよう生きていきます。どうか皆様、安心してお休みください」

私の生は、ご先祖様達の人生の積み重ねによって生まれたのだ。感謝感謝!だし、やはりそれに恥じない生き方をしたいなぁと思う今日この頃でした。

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ここのところ、いい意味でのビックリが続いている。何かに仕組まれているのではないか?というくらい、タイミングがいいというか、全て上手くいっている、ような気がする。

いや、上手くいっていないこともあるんだけれど、今は上手くいっていないことも、いずれは・・・、後から振り返った時には、きっとそっちの方が良いのだろうという妙な自信があるので、いっけん上手くいっていないように見えても、さほど気にせず、あ、これは、これでいいのね!という感じで捉えている。

上手くいこうが、いかなかろうが、そのどっちでも、それが自分にとってベストな学びになることが分かったので、「上手くいかなかったらどうしよう?」というような不安はなくて、「さーて、どうなるのかな?ワクワク」みたいに、精神的にヘビーな時も、心のどこかでは楽しんじゃってたりする。

なので、以前と比べると、私は本当に何も考えなくなったというか、余計な心配はしなくなったかな。ただただ直感や流れに任せてる。そっちの方が、物事の廻りが速く、上手くいくことも多いようだ。

何かをやる時の判断基準が、「自分がやりたいか?やりたくないか?」だけに絞られてきたのも大きいのかも。家族が一緒にいる訳でもないから、自分の行動全てを自分で決められるというのは、とても恵まれた環境なのかもしれない。

うーん、自由っていいな。

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今日は友達のミック入来と、テレビ番組『笑っていいとも』のオーディションを受けに行く。

オーディションを受けに来ていたのは、40組位かな。皆さん凄腕凄芸だったので、それを見ていて「あ〜、ウチらはダメだろう」と思ったのに、どういう訳か1次・2次・3次審査をヒョロヒョロと通過し、出演決定!やったぁ〜!

出番が近くなり、控え室から、舞台袖に移動する。私はそこで、要らんことをしてしまったのであろうか。出演者5組と、会場全体に、「全てが良き運びとなりますように」と願ったのだ。

そして、コーナーが始まり、次の次に私は出演!という時に、生放送の関係で時間切れとなり、私たちの出番はカットされた。

「ここまで来たのに・・・マジかい!」と思ったけれど、全てが良き運びなるように願って、そうなったのだから、それが良き運びだったのだろう。

それを信頼できるので、テレビの前で楽しみにしてくれていた方には申し訳ないな〜と思いつつ、そう悔しがることもなく「ま、いい経験したわ〜」と笑って帰って来た。

でも皆に見て貰いたかったなぁ、『ミックと七実』。かなり笑えると思うんだけど・・・。またどこかでお披露目できる機会が、みつかるといいな。

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周囲は自分を映す鏡だ。自分を傷つけている時は、傷つけあう人々をよく目にした。心が泣いている時は、泣いている人をよく見かけた。苦しくても心を抑えつけて我慢して生きていこうと思った時は、同じ心境の人が側にいた。

こんな風に、どういう訳か、その時その時の自分と似た感じの人が、周囲にいることが多い。

ん〜〜〜と、ちょっと反省しつつ、やっぱり私は笑顔でいたい。ラブラブハッピーでいたいし、皆にも、そうでいて欲しい。

ってことで、全ては自分からっすね。常にそういう状態でいることは、人だから無理かもしれないけれど、でもなるべく、そういう状態でいられるように心がけようっと。

そして、逆もアリというか、私も誰かの周囲にいる人なんだよね。だから・・・

今日、私と、笑顔で会ってくれて、ありがとう!

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おぉっと、ようやくピントが合ってきたぞ。

5月アタマから、ピントがズレているというか、歯車が噛み合っていないというか、自分の調子を崩している感覚があったのだが、何となく復活の気配を感じる。

自分が言っていること、思っていること、やっていることが、一致してきた。これって、なかなか難しいんだよねぇ〜。でも一致すればするほど、自分の中で矛盾がないせいか、願いが叶うのが早い。

またピタリピタリと、願いが叶うようになってきたのだ。願いっていっても、連絡欲しいなと思った人からメールが来たりとか、そんなのだけどね。自分が望んだ通りスムーズに物事が展開するのは、やっぱり楽だし気持ちいい。

「そうそう、何もかも上手くいくような、この感覚なのよ〜」急に物事がスムーズになった時の喜びを、また新たに味わっています。初心に返れ、ってことだったのかしら?

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心にモヤモヤがあって、ヘコむことが続いていた。

ヘコんでいる時は、苦しいから、そういう時間を過ごすのは、あんまり好きじゃない。けどヘコんでいる時に知ることが出来ることも、たくさんあると思うから、ヘコみもアリだなって思う。

面白いな〜って思う。ヘコんでいると、もう何もかもダメに感じて、生きる気力すら湧かなくなる。そこで自分が選択するのは、どういう訳か、自分を傷つけること。どんどん傷つけることを選んでいってしまうので、ますますヘコんでしまう。何もしたくない。ただただ、ヘコんでいたい。

そして、とことんヘコむと、突然、スカっとなる。

「私にやって出来ないことはない!ヘコんでる場合や、ないやんけ!」

ガッツが湧いてくる。心のモヤモヤが晴れていく。ヘコんでいる時に知りたかった答えがビシバシやってきて、全身に愛が流れていく。

あぁ、そうかぁ。自分を信じられた時に、ガッツって湧くんだなぁ。ガッツって、内から湧く愛の力なんだなぁ。なーんだ、やっぱりアイラブミーか。また私は、アイラブミーを忘れてた。

ヘコんでいたのが嘘のように、今度はまるで正反対。何もかもOKに感じて、生きるのが楽しく、愛に満ち溢れて、やりたいことは何でもやってみたい!なーんて、笑っちゃうほど、両極端な私。

でも、どっちも私だ。ハイな私も、ローな私も、どっちの私もアイラブミー。

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これは昨日のこと。

外を歩いていると、あるポイントにさしかかった。「あ、ココって・・・」普段はそんなこと、スッカリ忘れていたのに、急に思い出した。ここは、最後に、ある人に会った場所、そして別れた場所ではないか・・・。

タイムスリップしてしまう。ありありと、その時の状況が甦る。

でもすぐに、今に帰ってくる。

ズキっと心が痛む。

そして、さしていた傘の骨が、ボキっと折れる。

なんでやねん!風も吹いていないのに、どうして突然、折れるのだ?

たまたま・・・、なんだろうか?いや、でも、何もしていないし、何も起こっていないのに、突然傘が折れるなんて、変だよなぁ。

何か起こったとしたら、私の心が、一瞬、ズキっと痛んだだけだ。それに傘が反応したんだろうか・・・?う〜む・・・。

ま、傘で良かったわ。これがギターだったら目も当てられないや。なんて思いつつ、トボトボと雨の中を歩いていた。

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ここのところ切に願っているのが、これ。魂を解放したい。

別にそうしているつもりはないのだが、ここ数年にわたって私は自分を抑えつけていることに、それが窮屈で魂が泣いていることに気付いた。

魂を解放するというのとは、ちょっと違うのかなぁ。でもなんか、この窮屈な感じから解放してあげたい。もっと活き活きと、愛と喜びに満ち溢れた現実を生きたい。

昔は、あったんだよなぁ、魂を解放できる場が。今はないなぁ。意識して、作ってあげないとなぁ。

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理性と感情のハザマに落ちる。

「理性は、NO」「感情は、YES」と、まったく逆を言い出した。

私のエアポケットに落ちる。

理性は、正しい。感情も、正しい。その側面から見れば、どちらも正しいのだ。こんな時は、どうしたらいいのだろうか?心がモヤモヤしてきた。

理性と感情は、まったく正反対の答えを出している。だけど、どちらも欲しているものは同じ。「愛し愛されたい」である。

私はもともと気分に任せるタイプ。おまけに流されやすい。

それなのに、どういう訳か最近は理性に比重を傾ける事が多かったので、感情がダダをこね出したのかなぁ。なんか感情をセーブするのに我慢できなくなって、たまには・・・と思い、今日は感じるままに、感情に比重を傾けてみる。

が、「それでは本当に欲しいものが得られない」ということが分かった。一時的な満足は得られても、冷静に振り返ったときに、大きな目で見たらね、感情だけが求めたものでは、自分を傷つけてしまうことに気付く。

理性と感情、どちらの言い分も合っているのだ。つまり今回の場合は、原動力(感情)はYESでも、それを向ける先(理性)がNOなのだ。

どういう訳か遠隔ヒーリングしている時に「これは試練やで」と気付いた。本当に欲しいものを手に入れなさいと。理性と感情が合致するまでは・・・、本当に欲しいものでないもの、本当に欲しいものに似ているけれど違うものに対して、毅然とした態度で立ち向かう試練やで、と感じた。

そうか、試練だったのか。

確かに、アンビバレントなものに惑わされてるヒマないよなと気付いて、モヤモヤがスッキリする。せっかくの原動力なんだから、自分が本当に欲しいものに使おうではないかと思うと、ダダをこねてた感情も落ち着く。

なーんかね、代替品で間に合わせてるような感覚って、感情だけに任せていたのが原因かも・・・?って思った。これって一時的に、とりあえずにはいいかもしれないけど、結局は不満足なんだよなぁ。「より自分らしく、よりハッピーに!」やはり自分にとっての「真打ち」を知り、それをゲットしたいところである。それには、理性と感情の合致&比重のバランスを取れることが指針となるようだと気付いた。

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